「なぜ経営者になろうと思ったの?」
この質問をされた時にちゃんと答えられない自分がいました。
高校2年の時にロサンゼルスに留学して、経営者の方に出会ったから。その答えが一番最初に出てきていたけど、これはただの憧れから。
今回は自分を見つめ直し、改めてリーダーになる意味を定義し、これから目指すところを綴ります。
家庭環境
前提として、親が経営者だったり、祖父が会社を持っていたり、大手企業の役員だったり、というような家庭環境では全くない。
若いうちに経営者になるような人は親が経営者のことが多く、
普段から会う活動的な学生もそういう人が多い。
しかし、私の場合それとは全くの逆で両親を反面教師にしている部分がある。
両親は工場勤務で、特に母親はベルトコンベアに流れてきたものを淡々と処理するような、
THE・工場というようなところで働いている。
元々は医療系の事務をするような勉強もして、給料も良い、自分のやりたい方向を叶えている人だった。
しかし、結婚を機に田舎に来て、想像以上に働く場所がなかったということだ。
それに加えて家に帰ってきては、職場の人の愚痴ばかり言っているというのが日常だ。
それに釣られて、私の妹までその傾向がある。
悪いのは他の人や環境
学校の同級生の悪口を言い、自分の非を認めず、
家がもっと裕福だったら都会に住めたのに、というようにだ。
母親は、転職しようにも子供ができたら子供を優先しないといけないし、
この先どうなるかわからないから転職できないという。
環境を変えようと努力せず、他人のせいにばかりしている。
反骨精神
そうはなりたくない。
女性が結婚して仕事を辞めなければいけなかったり、
子供がいるから転職できなかったり、
仕事では人に言われた仕事を淡々とこなし、
人の愚痴ばかり言っている、
ような大人って楽しいのかな?と思ってしまう。
自由になりたい
とにかく母親や妹には自由に選べる選択肢がなく、金銭的にも時間的にも余裕がない。
そうではなく、自分が動きたいと思ったら動ける状態、子供にも苦労させない状態、にしたいと思うようになった。
だからこそ、周りに馴染めず退学するか迷うほど悩んだ高校1年生を乗り越え、
高校2年の夏にロサンゼルスにファッション留学をする、という決断ができたのだろう。
私の高校は留学制度などほとんどなく、提携校もない中で、
自分でエージェントを探し、1人で説明会に参加し、
エージェント先の担当の方に手伝ってもらいながら、親を納得させる文章を作り
ようやく自分が納得できる環境と結果を手に入れられた。
学校という縛り、家庭という縛りを乗り越え、自由になった時に
「経営者」という新しい夢が見つかった。
親への恩返し
最終的には、家族へ恩返しをしたい。
自由なお金と時間を作って旅行だったり、美味しいものを食べに行ったり、早く子供の姿を見せてあげるのも夢だ。
私は、自由に楽しく生きているということを証明したい。
自分を信じて環境のせいにしないで成功すれば、親のせいだ、と他責にすることもなくなる。
これを実現させるために、大学生のうちからフリーランスという道を選んだ。
就職活動はしない、と決めたからには他責にしている場合ではない。
早く立派な経営者になるために
これからも努力し続ける。
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人生のキーワード
自立、自律、自責、自由、余裕、選択、主体的、イニシアチブは自分にある
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